元教師×主夫=親バカ。でもそれがいい。

バカ親じゃないぞ!親バカなんだ!子育て最高!楽しもう!

にゃんこ大戦争

ゲームとかスマホとか。条例で規制をかける動きもあるようですが、個人的には賛成半分、反対半分。


親がやることだよなぁ。でもそんな教育力もないのかな。


ゲーム自体は悪いものではないんだよなぁ。でもやりすぎも良くないかな。


悩ましいところですよね。


さて、フリーティーチャー報告。最近はにゃんこ大戦争にハマっている子どもさん。スイッチ版は2人でできるので一緒に楽しんでいます。


敵の種類によってチーム編成を考えたり、ガシャでゲットしたキャラの特性を読み取って残したり処分したり。


すごく戦略的に考えてる!そして難しい漢字読んでる!少し長い文はポイントになるとこだけ読んで理解してる!


などなど、ゲームを通して色々な力を付けている印象です。これだから一概に「ダメよ!」と言えないんですよね。こうしたゲームの良さを理解できていない人もいるんだろうなぁ。


ゲームとの付き合い方は難しいですねぇ。まずは自治体がどうこう言う前に、ゲームを与えている大人や、使っている子どもたちが自分なりに考える必要があるかもしれませんね。


習うより慣れよ

娘と今シーズン初スキー!

 

メキメキ上達する娘の姿が嬉しい。

 

最初は「怖いー。」なんて言っていたのですが、やっぱり何度も滑ると上達するもの。

 


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これぞ習うより慣れよ、ってやつでしょうか。

 

あれこれと指導するよりも滑らせたほうが上達は早いですよね。あとは必要になったら必要な技術を教えれば良いのです。

 

今日は4時間券を買って、ほぼ時間いっぱいまで滑りました。余程、楽しかったんですね。

 

まだ滑りたいと言っていましたが、さすがに帰りの車ではバタンキュー。そりゃそうです。

 

私は「習うより慣れろ」という言葉は多くのことに共通することだと思うんです。これぞ前回まで書いてきた「経験」先行の教育。

 

色々と教わるよりも、たくさん経験したほうが良い学びになる。自分の子どもの姿を見て再確認しました!

 

さて、前置きは長くなりましたが、フリーティーチャー報告。

 

先日は料理にチャレンジしました。本人が好きなカレーライス作り。

 

これも私としては経験先行。学校では皮の剥き方から指導していきそうな感じですが、いいからつくってみようぜ!というのが私のスタイル。

 

やりながら学んでいけばいいのです。

 

初めはピーラーや包丁を怖がっていたので、安全な使い方を指導。最後は自分から野菜切りに挑戦できていました。

 

そして熱い鍋も怖かったらしく、カレーを混ぜるのにもちょいと引く。でもこれも乗り越えました!やっていくにつれて、大丈夫だと思えたようです。

 

とても美味しいカレーを作ることができました。この経験から多くの学びを得たことでしょう!

 


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初めて作った自分のカレー。笑顔で食べていました!!

生きる知識と生きない知識

前回の続き。

 

『知識』先行の教育。覚えるところからスタート。そこから何かを考えるというスタイル。私は、大して興味のないことを学ばせられるというイメージをもっています。

 

よく「意欲づけ」といった言葉を使って子どもたちが興味関心をもてるよう道筋を作ることを教師はします。それが上手くできることがスキルの一つ。力のある教師、いい授業の基準となっています。

 

否定はしないし、それをできる先生はすごいとも思います。

 

でも結局それって押し付けではないでしょうか。子どもにとって、真の興味関心と言えるのでしょうか。そこで得た知識は本当に生きるものといえるのでしょうか。

 

もちろんそこから子どもたちが更に深めたり広げたりするケースもあるとは思いますが、それは稀。40人いるクラスの中でほんの何人か、または0でしょう。

 

そこに労力や時間をかける必要はあるのか疑問です。

 

では生きる知識とは。

 

それは何かを行う上で必要になるものだと思うんです。そしてそれは何かを行ってみて初めて身に付くものだし、必要性を感じるものじゃないかと。

 

例えば。

 

バスケットボールをする前に、シュートの名前や仕方。その他の技をしこたま教えてからプレーさせる。まぁ楽しむだろうし、上記した知識も役に立つでしょう。

 

対して、とにかくプレーさせた上で疑問やもっと向上させたいと子どもが訴えた状態で上記したような知識を与える。その上で、先程挙げた知識を与える。もしかするとシュートの名前は子どもたちにとって必要ないかもしれない。そして前者でプレー前に教えたことは、後者では子どもは求めないかもしれない。求めなければこちらから敢えて教えなくてもいい。結果、知識としては前者よりも足りなくなる。

 

でも。でもですよ。その後広げるのはその子次第。広げたいなら与えればいいし、自ら見出していくかもしれない。必要としていないものをわざわざ提供しようとするから授業が面白くないんです。

 

少し話は逸れましたが、さてどちらが生きる知識となるでしょう。今回例示したのは同じ知識。同じ知識でも、経験を基に得ていくものは、より定着すると思わないでしょうか。

 

更に、「チームプレーで!」とスタートするのと、試合をこなしていく中で、チームプレーの良さ感じ取っていくこと。どちらが子どもにとって深い学びとなるでしょう。

 

知識先行と経験先行。これって学校だけじゃなくて、家庭でもそうですよね。

 

理想の教育を勝手に語る

行ってきましたフリーティーチャー。今回は朝から夕方まで!7時間滞在!初の試みでした。

 

ところで、「学校で学んできたことで、社会に出てから役に立ったことは?」と質問されたらどんなことを思い浮かべますか?

 

もしかすると「?…。なんかあるかな…。」と思う人がいるかもしれません。

 

「あれも!これも!」と思える人は素敵です。きっと素晴らしい『経験』をしてきたのでしょう。

 

もしかすると前者に当たる方は、「役に立ったこと」と聞かれて『知識』をイメージしたのではないでしょうか。

 

歴史上の人物の名前や定理や公式、それらの用い方。化学記号。

 

後者の皆様は、部活動や遊び。学校祭などを想起されたでしょうか。

 

では、学校に、そして子どもたちに本当に必要とされているのは『知識』と『経験』どちらと言えるでしょう。

 

私の答えはもちろん『経験』です。が、誤解なさらず。『知識』を軽視しているわけではないですよ。

 

得るべき『知識』とその習得の仕方が大事だと思うのです。

 

学校は『知識』先行。新指導要領が完全に実施される次年度からもそう。『知識』を得た上でのアウトプットに繋げる。これまでよりはマシですが、きっと授業の質はあまり変わらないでしょうね。

 

そこで私が理想とするのは『経験』先行。『経験』を通して『知識』を得るという学習過程が望ましいと考えます。生きる『知識』ってそういうものではないでしょうか。

 

 

続く!!

 

ああ担々麺

今日は久しぶりに妻とショッピングへ行ってきました。子どもたちは保育園。ごめんねっ!!

 

ランチは妻と私のお気に入りの担々麺を!!

 

そしていつもの辛い担々麺を注文したのですが…

 

「?」

 

美味しくない…。ぬるい。味が薄い。どういうこと?

 

自分が変わったのか味が変わったのか。少なくとも以前より美味しいと感じなくなったことは事実。なんか寂しかったなぁ。あれだけ美味しくいただいていたのに。

 

せっかくのデートが台無しだぜ!なんてことは口が裂けても言わないのだけれど。

 

変わる、といえば、「うちの子、心配何です~。」とおっしゃる親御さんが多くいらっしゃる。個人懇談をしていると8割方の保護者の方が何かしら心配してます。

 

でもね。大丈夫ですよ。願えば子どもは変わるものです。いつかは。いつかはね。

 

親が願う。それが言動に表れる。すると子どもが変わってくる。ピグマリオン効果ってやつですね。

 

あとは環境ですね。家庭の環境。クラスの環境(これは親御さんがどうこうできるものではないのですが)。

 

ちなみに私、フリーティーチャーの存在も子どもの変化に一役買っていると思います。これも環境の一つ。学校へは行かないけれども、先生が家に来るという環境。

 

今訪問しているお子さんの場合。学校からもらってきたプリントに自分から取り組めるようになったり。小さい従妹のお世話をするようになったり。苦手な食べ物を一口でも食べてみるようになったり。

 

もしかすると私がいなくても自然とできるようになったことなのかもしれませんが、何か少しでもお子さんの成長に貢献できたのではないかと自分では思っています。

 

そして何より、こうした小さい成長を見逃さない保護者の方の存在もすごく好影響を与えていると思うんです。一緒に頑張ろうって気持ちになります。

 

 

やっぱり個

私が今フリーティーチャーしているお子さんは、ゲームとYou Tubeが好きです。それらに一日の時間のほとんどを費やしています。

 

学校へはかれこれ1年近く通えていません。

 

一般的な感覚から言うと「大丈夫?勉強は?」となるでしょう。

 

が、この子は計算が速い。文の要点を的確に掴める。少々の言葉不足はあるが、要点をまとめて説明することができる。

 

要は地頭がいいのです。おそらく学校の勉強はそれほど苦労せずクリアしていくことでしょう。今、学校へ行けないことはハンディとはならないのです。

 

今、彼はゲームとYou Tubeを通して学んでいます。自分がもっている力を伸ばしています。

 

それでいいのだと思います。確実に役に立つ日が来ます。「彼」という個が光る時が来ます。

 

無理して他と合わせて埋もれるのではなく、自分を輝かせる方法を見つけること。彼の才能を伸ばすこと。

 

私がサポートすべきはそこでしょう。学校へ行かないことをプラスに転換。これがフリーティーチャーの約目でしょう。

 

一緒でしょう。

高校の先生が給食の残りを持ち帰って処分されたとか。そして退職したって?

 

全く理解できません。

 

何がダメ?人の金で買ったものだから、という理由なんだろうけれども、いいだろう別に。

 

そんな事務的な、機械みたいな。「ルールだから」って一言で済ましちゃうような。

 

 

いやこれ。学校じゃないですか。子どもの個を埋没させてしまう、正に学校じゃないですか。

 

てことはアレかい?社会自体が学校みたいなもんってことなのかな。一人ひとりが生きづらく、個の想いを表現できないものなのかな。※当先生がどういう思いだったのかは分かりません。食べ物を大切に、という思いだったと信じたい。

 

 

おいおい。批判できないじゃないか。学校がすごく叩かれる世の中だけれど、人としてどうなん?みたいなことが社会のルールによって潰されてるんだってば。

 

そりゃ、学校もそうなるでしょう?もうね。ダメなのは学校よりも社会かも。この処分を妥当だとか、適切だとか。そう思う人、大丈夫?人として大事なこと見失ってない?