FTこっしぃの興育研究所

興味の興で興育!教えるんじゃない!子どもの興味が子どもを育てるんだ~!!

履修漏れなんか気にするな

履修漏れ上等。進んで漏らそう。

 

コロナの影響であちこちに打撃が。

 

学校では卒業式を始めとする行事・取組の中止や内容の変更などの対応に追われました。

 

休校となり一週間。結局普段通りの事務仕事をこなし、ようやく休みを取ることのできる先生方が増えてきました。子どもたちのことはもちろん気になるのですが、先生方も休めるなら休んだ方がいいと思います。

 

さて、休校措置でドタバタとしているのは卒業式関連だけではありません。

現段階で個人的に、完全に不透明で一番の課題と考えているのは履修漏れに関して。

 

「どうするんだ?!来年度行うのか?無理だ~!!」という嘆きの声が聞こえています。

 

はっきり言いましょう。大丈夫です。漏らしていいものが存分にあります。もちろん漏らしてはいけないものも。

 

例えば算数。これは積み重ねの教科なので漏らさずやるべき。国語。全ての学習のベースになるこの教科も漏らしたらダメ。力入れましょう。

他。漏らしてもいいものが盛りだくさん。理科社会生活音楽図工体育家庭総合道徳外国語・・・

 

もちろんこれらの中でも一部。一部ですよ。

 

「正直言って、この教科の単元、さらっと進めていいな。」「ここは大事だからじっくりと!」

 

これが現場のリアルな声なんです。つまり、「さらっと」と現場で判断されている程度のものはカットしても絶対大丈夫。お上が「やりましょう」と決めていることよりも、現場判断の方が絶対正しい。(もっと言うと、さらっと行われた単元が履修済みとなっている現状もかなりおかしい。大した学びはない。)

 

だから、『各教科の一部をカットして、次年度に積み残した算数と国語をやるべきだ。』

 

私はそう考えています。

 

これ、実はすごく大切なことで、時数削減を進めようとしている文科省にとっても有力な情報になると思うんです。現場でカットの判断がされた単元は、今後縮小または削減の対象としてリストアップしていいということなんです。

 

不謹慎な言い方にはなりますが、コロナにより多くの物事が見直され、新しいサービスも生まれている時期。学校もこれに便乗して、より良い方向へ向かうことを願っております。

サードプレイス

今日はこの書籍から。

 

 

友達ゼロで不登校だった僕が 世界一ハッピーな高校生になれたわけ
 

 

フリーティーチャーとして読まずにはいられないタイトル。

 

著者が不登校になるまでの経緯。そしてモデルとして活躍する、現在に至るまでのノンフィクション。

 

不登校に悩む子供や保護者の方。いや、親である人、教育者、なんなら子どもにも勧めたいです。

 

不登校になるってこういう経緯、心や環境の変化があるんだ、ということがすごく分かるんです。染みます。すごく。気になる人は読んでみてください。

 

今回どうしても記事にしたかった文。

 

 

『もし、不登校で行き詰まっている人がいたら、サードプレイス(第三の場所)を作ると何かが変わるきっかけになるかもしれない。』

 

 

環境ってすごく大事だなって思うんです。人にとって。

 

不登校に至るケースはそれぞれですが、変化のきっかけになるのは環境、ということは共通しているのではないでしょうか。

 

この本の著者であるよしあきさんはフリースクールとの出会いが変化のきっかけに。

 

人によっては進学がきっかけに。転校が変化をもたらす人もいるでしょう。

 

これらは新しい場所が見つかる。ということ。

 

では新しい場所へ行けない子はどうすれば。

 

そんな考えから思い付いたのがフリーティーチャーの活動。

 

私が訪問することで、普段過ごす家がサードプレイスとなればいい。私という人間と出会うことで心の変化があればいい。

 

自分のしたいこと、すべきことを再確認させていただいた本でした。また読もう。

久しぶりにかなり腹がたった話

久しぶりに腹が立ちました。

 

子どもは労働力じゃねぇ。行事取組を理由に好き勝手動かすな。無理難題押し付けて責任負わせるな。そんな扱いで子どもの休み時間奪うな。その上、子どもが悪いように言うな。

 

と、思って子どものフォローをしたら

 

「勝手なことしないで!!!!」

 

って同僚にめっちゃキレられた。

 

どっちが勝手なんだか。

好きこそものの上手なれ ~興育という考え方を提唱する~

これまで色々と…

 

学校では吠え。

 

ブログでは愚痴り。

 

でも何も変わらなくて。結局何だったんだろう感のあった自分ですが。

 

ようやっと自分の考え方が固まりつつあるかな、と。

 

言葉はまだこれで良いのか悩むところですが…。

 

興味で子どもを育てる、『興育』という考え方。どうでしょう。

 

やっぱり誰に与えられたり黙っていても勉強が進んでいって、何かを得た気になってしまうような教育はいかんと思うんです。

 

何を学ぶかはその子次第で、それはその子の興味によって大きく変わると思うんです。強い興味をもてるものは一気に学びが加速するイメージ。

 

フリーティーチャーを始めて、個に関わる時間を創れるようになった。『興育』を推進するいい機会。

 

ゲームならゲームを通して。生き物が好きなら生き物を通して。

 

その子に合った学びをプロデュースするのが自分のしたいことなのかな、と思います。

 

うし。気合い入った!!やったるで~!

謝り過ぎもどうかと思う。

いやぁ雪がどっさり降りました北海道。やっと冬になったなぁ。

 

しかしマイナス20度とかやりすぎです!!

 

先週までほんと雪が少なくて。でもスキーへ行きたくて。娘を連れて行ってきたんです。

 

そしたらスキー場のアナウンス。

 

「雪が少なくて申し訳ありません。地面露出してます。」

 

みたいな。

 

え。謝ること?と思っちゃいました。

 

最近、みんな謝り過ぎじゃないですか?絶対あなたのせいじゃないよね、ってことも謝る。

 

なんかそれが当たり前になってきて。それが「誰かに何かしてもらうことが当たり前」になっているような気がしています。

 

仮に遠足がありまして。お便りの持ち物欄に「水筒」という文字がなかったら。もちろん書き忘れた方に問題はあるんだけれども、考えれば分かりません?

 

「あれ。先生、書き忘れてるな。」「書いてないけど遠足だから持たせよう。いらなかったら学校に置いていけばいい。」

 

もしくは。分からなければ聞けばいいのに。

 

「書いてないからいらんのか。」「先生が何か用意してるんだな。」なんて思う人なら重症。遠足だよ??

 

ちょっと例が極端だったでしょうか。遠足の水分補給は命に関わりますからね。

 

全部片方の責任になって、過失があれば平謝り。時には絶対悪くないのにゴメンナサイ。なんか変です。

 

いいじゃないかいいじゃないか。みんなが少しずつでもどうぞどうぞ。

 

そんな姿勢になればなぁ。

 

 

大事なのは集団ではなく個

何度も似たような記事を書いているのですが、しつこく。

 

子どもの育ちや課題を考えるとき、どこに基準を設定しているでしょう。

 

きっと多くは他者と比べることで基準を設けていることでしょう。学校の先生なんかは特にそう。多いと思うんです。

 

前へならえ。右へならえ。それが評価されるので、子どもに身につくのは揃えること。合わせること。同調すること。これらを集団力と呼ぶことにします。

 

私が考える集団力のイメージは、ペッパーくんですね。みんな同じ人間。「みんなしているから、自分もする」何か指示されたらとにかく「はい!」と言って従う。

 

ダメじゃないし、必要になることもあるでしょう。しかし、その時と場を子どもは理解できていないことがほとんど。表面だけやっていて、中身はない。

 

学校で、あの子はこうだからこんな対応を、と考えてもらえるのは大抵困りの見える子。

 

いやいやいや。全員そうなんですよ。全員個性があって、力があって、課題がある。それを見つめて支えることで子どもが育つんですよ。

 

勉強が得意なAさん。他の子が解き終わるまで待たせのではなく、ミニ先生という役を与えればいい。

 

良くも悪くもよくしゃべるBさん。どんなときに、どんなことを、言葉にすればその力を発揮できるか教えてあげればいい。

 

どうしてもクラスの中に自ら入っていけないCさん。入らなくてもいい。ただし、入りたいときには小さいものでもアクションすることを約束。そうすればいつでもフォローできる体制を作っておく。「みんなやってるんだから君も」なんて言葉は残酷。

 

Aさんにはみんなが終わるまで待つこと。Bさんにはとにかく空気を読め、ということ。Cさんには「みんなやってるよ」という圧。

 

その子たちに必要なことでしょうか。大事な集団力と言えるでしょうか。

 

クラス経営も学校経営も。集団力よりも個を育てたほうがうまくいくと考えてるのは私だけ??見

子どもが変わる、課題の捉え方。

行ってきましたフリーティーチャー。

 

昨日は4時間ゲーム漬け。好きだなぁにゃんこ大戦争

 

いいんです。私がいない時間に随分と頑張っているようです。なので私といる時間がお楽しみでもいいんです。

 

新学期。学校までは行けていませんが、道のりの半分までは行けたそう。担任の先生もそこまで来てくれて、取り組んだプリントを見てくれたらしいです。ありがたい!

 

その帰り道。ちょっとした用事があったお母さん。なので一人で家に戻ることに挑戦し、達成したそう。

 

これらにトライするまで、かなり葛藤があったようです。

 

「行こうかなぁ。どうしようかなぁ。」

 

と言葉に出しながら歩き回って…。

 

「行くかな。」

 

と決める姿。想像できます。

 

このお子さんの課題は算数でも学校へ行くことでもない、と最近私は考えるようにしています。

 

課題は、自分の中にあるモヤモヤと戦うこと。

 

算数のプリントに取り組むこと自体ではなく、プリントではなくゲームをしたい自分と戦うこと。学校へ行くことそのものが課題なのではなく、学校へ行きたくない自分と戦うこと。

 

こういうことを繰り返しているからか、最近すごく明るいです。自信をもちつつある感じがします。

 

子どもが成長する、人が創られていくってこういうことなのだろうと思います。

 

これ、学校でも同様に考えてほしいところですよね。

 

どうしても集団での伸びが見られる、学校の子ども達。集団力と呼ぶことにします。

 

ん…。なんか長くなりそうなのでまた次の記事にしますね。

 

ではでは。