FTコシヤマンの興育研究所

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大人も子どもも知るべき「勉強ができる」という言葉の本当の意味を考える

緊急事態宣言も延長という線が強くなってきているようですね。何より命が大事なので、私としてはそれで良いと思うのですが、その裏で苦しくなる人は必ずいますよね。難しいところです…。

 

さて、学校が始まろうと始まってなかろうと、子どもにとって勉強するということは一つの義務(本当は権利)。私も、子どもたちにとって必要なことだと思います。

 

ところで「勉強ができる」という言葉、深く考えたことがあるでしょうか。もしかすると、単に「学校の成績が良い」という意味で考えていないでしょうか。

 

厳しく言うと、それだけでは足りません。それが大事だと思っているんだったらそれは大きな勘違い。今回の記事を読んで「勉強ができる」という言葉の意味について改めて考えていただけると幸いです。

 

勉強ができる①「学校の成績が良い」

これは言わずもがな。オール5という成績はうそをつきません。テストの成績や学習態度、日々の頑張りがそこに表れていることは疑う余地なし。

 

自分も子どものころはこうした成績に憧れたものです。そして、多くの大人、いや、大人だけじゃなく子どもたちも「勉強ができる=成績が良い」ということだと思っているのではないでしょうか。

 

現在。私はこれをさほど重要視していません。あくまでも成績というものは物事の結果だからです。極端なことを言えば、学校では頑張って、テストの先日に一夜漬けで勉強すれば、成績はある程度上がるもの。(オール5とはいかないまでも)

 

私はその成績に至るまでの過程を重要視します。先の例と関連させると、「一部だけ頑張った結果なんか…。」と考えているということです。

 

では私が重視する「過程」とはどういうものか。正にこれが「勉強ができる」という言葉の本質だと思っているのですが、

 

勉強ができる② 継続して取り組める

習慣化は何事においても重要です。スポーツ選手なんかはルーティーンなどという言葉で、自己を高めるための行動として重要視していますよね。

 

勉強においてもそう。「机に向かう習慣がある」ことが勉強ができるという言葉の意味の一つだと思うのです。

 

オール5は、世に出れば役に立たなくなりますが、習慣化は社会に出てからも必要になるものですよね。

 

習慣化の重要性を理解していて、自身も取り組むことができる。これが「勉強ができる」ということなのです。

 

勉強ができる③ どうして?を考える。

どうしてそうなった?という点を大切にして、そこを理解しようとすること。考えようとするという過程。

 

あくまでも「分かる、できる」ではありません。これは結果。

 

最終的に分からなくてもいいんです。できなくてもいいんです。でも、「分かる、出来る」前に物事の根拠や事象の要因に目を向ける姿勢があるかどうかが大切。

 

勉強という場面では、最終的に答えを出せることが重要視されがちなのですが、その答えに至るまでの過程を理解していないと、汎用性のあるものにはならないし、本当に理解できているかは分かりません。

 

だからマーク式のテストなんかは私は嫌いです。あてずっぽうでも〇が付くんだから。

 

社会では、職種にもよりますが、データの分析など利益を伸ばすための戦略が大事になりますよね。「適当にやってて成果出たわ~~。」という人は決して長続きしないでしょうね。

 

私も小学校教師時代、これの点については大切にしていました。子どもたちにももちろん伝えていたし、自分自身も。

 

相手は一人一人の人間なので、みんな違うんです。Aさんにはこの対応でOK。でもBさんには通じない。これはどうして?

 

なぜなら違う人間であり、性格や考え方全てが違うからですよね。子どもによっては1つの言葉も受け取り方が全然違う。

 

違うからこそ違う対応。「どうして?」に目を向けて、子ども達について考え続けたからこそ、教師コシヤマンを信頼してくれる子がいたんです。

 

まとめ

いかがでしたか?①については結果を重視したもの。②③は過程を重視したもの。どれが大事だと考えましたか?私は②③を大切にします。なぜなら長く、汎用的な姿勢や思考だからです。

 

答えはありません。もしかすると本当に大事なのは大人も子どもも「勉強について勉強する」ことかもしれませんね。